今回も3月の高雄に続き多くの台湾人と交流する機会が多くあった。1895年~1945年、50年間の日本統治時代、日本国籍だった人の話もたくさん聞いた。特に台中一中同窓会に同席させていただいて、同窓生の皆様から「私たちは15歳まで日本人でした」という話を聞いて、台湾は私たち日本人にとって決して忘れてはいけない国だと強く心に響いた。皆さん厳しい台湾の歴史の中で生きてこられて、なお日本を大切に思ってくださっており、とてもありがたく思った。日本語世代の人はもちろん、若い人も日本語を話す人が多く、常に温かい目で見守られていて、何か困っていることがあると、必ず救いの手を差し伸べていただき、本当に心温まる台湾滞在であった。 | |||||||||||
台中 台湾で台北、高雄につぐ第3番目に大きい都市 台湾中部観光の拠点 今回も主要な観光地に出かけた 左地図より ①台中市内観光 霧峰林家花園 クリックで本文にリンクします 振英会館の一日ツアー ②杉林渓 6月25日 クリックで本文にリンクします。以下同じ ③埔里 6月27日 ④阿里山 7月1日 ⑤苑裡(裡山塾) 7月9日 ⑥嘉義布袋港 7月10日 ⑦南投水里(集集線) 7月14日 個人で ⑧高雄 ⑨蘆山温泉・霧社 ⑩鹿港 台北在住TARP頼氏のお誘いで ⑪台北 蓄音機博物館 昆虫博物館 鉄道 公共バスがとても便利でどの観光地にも行きやすい。 LSCの仲間はバス、高鉄(新幹線)、台鉄(台湾国鉄)を駆使して各観光地へ精力的に出かけた。、 |
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宿 振英会館 (コンドミニアム) 1ヶ月 料金税込み31,500台湾ドル(電気水道代別途) 以下台湾ドルを元で表記 (以下 1元約3,5円) |
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スタッフ 日本語担当が2人 宿泊者に極め細やかなバックアップ体制あり。交通手段、食事、医療、買い物等尋ねるとまことに的確なアドバイスがもらえて、おかげで自由自在に動くことができた。マネージャーと2人の日本語担当、他のスタッフのおかげで充実した台中生活が送れた。 施設・設備は日本人向けにすべてそろっている。コンドなのでルームクリーニングサービスはない。 コンドミニアムの環境 近くのバス停から各方面へのバス路線があり、どこに行くのもとても便利。周囲には手ごろな値段のおいしいレストランがたくさんあり、食事に困らない。買い物はスーパーマーケット。新鮮な果物は黄昏市場。各医院、薬局等、ほとんどホテルの近辺で用が足せる。 |
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台中の交通事情 公共のバスが縦横に頻繁に走っている。 ありがたいことにプリペイドのICカードを持っていると8km以内は何回乗っても無料。8KMを過ぎると料金を払うが、65歳以上の敬老カードを持っていると半額となる。鉄道(台鉄)も使用可。この敬老のICカードをコンビニで買った。カード代(デポジット)100元+チャージ料金。このカードは台北のMRT、バス、コンビニの買い物でも使えてとても便利。高雄でも使えると聞いたが未確認。 目的地までのバス路線については、振英会館が一覧表を作ってくれていてとても便利。遠くの観光地への行き方は、スタッフが適切なアドヴァイスをしてくれる。 台湾はIT化が進んでいて、スマホ、タブレットで、バス路線、バスの時刻等すべてわかる。この使い方は、今回の同行者の詳しい報告書がある。(LSCの会報、LSCホームページに掲載予定) |
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スマホ・携帯電話のSIMカード購入 今回はLSC懇談会で紹介のあったシムフリーのスマホを購入して持参した。空港でSIMカードを買うと、パスポートだけで買えるが、今回は空港の窓口が大変混雑していたので、宿の近くの店「遠傳」で購入した。空港以外ではパスポートと免許証などの写真つきの身分証明書が必要。私たちは免許証を持参していなくてあわてたが、3月の高雄滞在時に電話のシムカードを利用していたので、そのカードにチャージするだけでOK。1ヶ月WEB使い放題800元+電話料金300元計1100元、でチャージした。台湾国内の知人にたびたび電話したが、振英会館のスタッフの話ではプリペイドの携帯から相手の携帯に電話するととても高いので、宿の部屋の電話を使ったほうが安いとのこと。確かに300元はすぐなくなってチャージしに行った。「遠傳」の場合はシムカード電話料最低300元 |
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日々の記録 |
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6月23日 台中へ出発 関空よりJETSTAR12時30分発 台北桃園空港着2時40分 振英会館の迎えのバスにて台中の宿へ 車中振英会館のスタッフより宿舎の詳しい説明を受ける。 |
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振英会館のバスで空港にて出迎えを受ける |
夕食 まずは餃子の店へ |
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6月24日 午前中、振英会館スタッフによる館内案内、宿周辺の案内 |
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振英会館のスタッフより 館内案内 |
周辺の案内 くわしい周辺の地図をいただき大変便利 |
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夕方6:00よりウエルカム パーテイ |
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頼オーナー挨拶 |
行き届いた対応をしてくださるスタッフ |
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おいしい料理がいっぱい |
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おすしもあります。 |
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元気いっぱい、踊りを披露 |
撃さんのハモニカ演奏 |
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盛り上がっています |
女性陣はしとやかに |
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6月25日 振英会館一日バスツアー① 杉林渓へバス旅行 まず第一日目のツアーは阿里山の少し北に位置する標高約1700Mの杉林渓へ。気候はとても涼しく、滝とさわやかな緑の中を歩いた。すぐ近くだと思っていた見所の天地眼への道が意外に険しく、シニアにはすこしこたえた道のりであった。 |
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杉林渓 管理事務所前で記念撮影 |
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ハイキング道で迎えてくれるかわいい像 |
松滝岩の滝 |
二つのくぼみが「天地眼」 ここまでの歩きは結構きつい! |
ハイキング道にある大木の株 |
下山後、昼食は「満意堂レストラン」にて |
なんと我々の帰り道をふさぐ事故車 |
2時間待っても動けそうにないので次の目的地へ歩いた |
めずらしいバナナの花 |
6月26日(金) 中国語教室 講師は楊先生 台中科技大学教授 とても分かりやすい授業です。日本語にない発音がたくさんあるので、この年になって、中国語の発音を身につけるのはとてもむずかしい。それに理解はできるのだけれど、なかなかおぼえられない。学んだことがちゃんと身につけば、一気に話せる様になりそうなのに・・・ 回数を重ねるしかないですね。 |
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中国語教室初日 |
7月19日の教室 |
11時より霧峰林家の林そうゆう氏ご夫妻に会う。 林ご夫妻は私が通う日本での中国語教室の先生から紹介された、台湾5大ファミリーの一つ霧峰林家の方で、台湾4大庭園の一つ林家花園を案内していただけることになった。 |
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ご夫妻の新居へ |
台中駅近くの5階建ての新居 |
香港料理をご馳走になりました。 まずは私たちが大好きな大根餅から |
次々ご馳走になりました |
6月27日 振英会館一日バスツアー② 埔里へ 台中からバスで約1時間。古来より台湾一の水質を誇り、酒つくり、紙つくりが盛ん。日本統治時代は紙つくりの中心地。 当時は製糖工場もあり、砂糖キビを運ぶため車埕・埔里間のトロッコ道が敷かれていたとか。 |
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中台禅寺 2001年に落成した荘厳な寺 台湾4大宗派の聖地。禅寺は仏教史上初めて試みといわれる設計で、宗教、文化、学術、芸術を融和させた建物。 内部を詳しく説明を受けながら参観したが、撮影禁止ですばらしい内部は撮影できなかった。 |
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ここ埔里は台湾の地理的中心地 日本統治時代に建てられた中心碑は山の上にあり、今回は行けなかった。 |
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昼食は「亜卓客家菜」にて |
「 和菓森林」紅茶工場へ |
これから紅茶の手つくりのため茶葉を揉みます。 |
色々な種類の紅茶を試飲 |
6月28日 朝市 北屯市場へ案内してもらう |
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朝一番 バスで北屯市場へ |
毎週土曜日 午前中は太極拳教室 |
6月29日 台中TARPのカラオケ大会へ | |
TARPの方たちの紹介 |
TARPの会員とカラオケを楽しむ 隣の女性は「日本語は学生時代に勉強しただけ」 といっていたが、日本語がなかなか上手だった。 |
出席者全員で記念撮影 三角帽をかぶっている人達は今月が誕生月の人 TARPの皆さん日本語の歌が上手です。 曲にあわせてダンスも、皆さんとても上手 |
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6月30日清泉崗ゴルフクラブへ 台中空港と空軍基地があるらしく、頭上を戦闘機、民間機がたくさん飛んでいく中でプレー 私たちはゴルフはこの日のみ。他のゴルフ組みは8回くらい行ったのでは? ゴルフ組みの詳しい報告は別紙にて |
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7月1日 振英会館一日バスツアー③ 阿里山へ 台湾での観光といえば、まず行きたいところが阿里山。そして阿里山森林鉄道に乗りたい、というのが夢であったが、今回は振英会館に一日バスツアーとして案内してもらった。 まずは奮起湖駅へ。丁度嘉義発奮起湖行きの列車が入ってきて見学。この列車は2009年の台風で運休されていたが、奮起湖まで運行が始まり、大人気でなかなか予約が取れないとか。 この阿里山森林鉄道は世界3大高山鉄道(インドのダージリンヒマラヤ鉄道、チリからアルゼンチンまで続くアンデス山鉄道)の一つで[Z}字型で進むスイッチバック方式とループ方式が特徴で50のトンネルと77の橋を経て、熱帯から温帯と変化するにつれ、それぞれ異なった美しい景色を眺めることができる。ということで次回は是非この森林鉄道に乗りたいと思っている。 |
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1916年から1975年8月まで使用した機関車 アメリカ製 運転速度 登り時速11KM 下り時速14KM |
嘉義から現在の終点奮起湖に到着した列車 |
奮起湖のハイキングコースを歩く |
奮起湖の老街 |
奮起湖名物「弁当」なかなかおいしい |
観光に来ていた台湾人とおしゃべりしながら奮起湖弁当の昼食 |
阿里山駅から神木線で神木駅へ 憧れの阿里山森林鉄道に乗った。 |
神木線車中 |
阿里山銘木ヒノキが有名、ヒノキの大木 |
阿里山駅 このあたりは標高2200mくらい |
7月2日 霧峰林家の下見 林家宗廟 省議会 7月16日にlSC会員で訪問するので道順などを確かめるためバスで下見。 交通手段→、振英会館の崇徳禅寺からバスで中友百貨、100番バスに乗り換えて霧峰下車。この方法が一番早い。 タクシーで350元程度 16日にタクシー5台連ねて行った時は朝のラッシュ時のため遠回りしたようで490元であった。 |
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霧峰林家花園の入場口 |
台中駅近くの霧峰林家宗廟 |
バスで林家花園の近くにある「省議会館」へ 台湾省諮問会(旧台湾省議会)議事堂 この建物の隣に3階建ての立法院議政博物館があり、台湾議会のくわしい歴史が展示されている。 |
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7月3日 謝恩パーテイ お世話になっている振英会館のスタッフをお招きして、日本料理風の料理をふるまった。献立は牛カレー、豚カレー、鶏カレー、シーフードカレーにサラダ各種、そうめん、チラシすしなどであった。左マネージャー、スタッフの皆さんに喜んでいただけたと思います。 |
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朝一番 北屯市場へ食材の買出し |
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撃さんの司会で謝恩パーテイが始まりました。 |
主菜は豚、牛 シーフード チキン各カレー4種 |
スタッフに好評だったソーメン |
野菜サラダ チラシすし |
左マネジャー(左側)と日本語担当ちひろさん |
日本語担当よしみさんと男性スタッフ |
徳永氏代表して挨拶 |
美智子さん歌を披露 |
和子さん3人の助手と共に 鮮やかなマジック |
洋子さんのオカリナ演奏 |
マネージャーとスタッフのメッセージ |
メッセージの日本語訳 |
左(zuo)マネージャーと日本語通訳ちひろさん |
7月4日 逢甲夜市へ 台中でもっともにぎやかな夜市へ。うわさどおり大変な人出。屋台名物を食べ歩く。 |
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金曜日の6時過ぎ、もう大変な人出 |
まずは屋台人気NO1の牡蠣の卵焼き「オアーチェン」 |
このかまどで焼いた胡椒餅 |
から揚げにした臭豆腐、においはあまり気にならない |
ながーい行列ができていたので私たちも並んで買った。 |
名物 50CMある?ソフトクリーム霜淇淋 |
7月6日 新幹線で高雄へ 今年の3月滞在時に親しくしていただいた高雄の呉さんの家を訪ねた。呉さんの家に友人の張さんが来られていて、呉さんに昼食をご馳走になった後、高雄が始めての撃さん夫妻のため、高雄の歴史博物館、寿山、鉄道博物館、西子湾を案内してもらった。、夕食は高雄の後駅の近くのレストラン「驛站食堂」でご馳走になった。9時過ぎの台中への高鉄に乗るまで、張さんからほぼ丸1日高雄を観光しながら、台湾についてのもろもろの話を伺った。 |
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左から2人目呉さん 真ん中張さん 呉さん宅で |
寿山の展望台から高雄港をバックに |
打狗鉄道故事館 (打狗は高雄の旧名) 日本統治時代の高雄駅 |
機関車が展示されている 鉄道に詳しい撃さん |
高雄歴史博物館の向かいに新しくできた二、二八平和記念公園 3月は工事中であった。 |
前回来たくて来れなかった 寿山のふもとにある二、二八記念碑 |
「二、二八事件」とは1945年8月日本の敗戦に伴い、台湾が中国に返還され中国本土の国民党の支配が始まったが、その国民党の兵士の士気の低さと驕りのために次第に台湾の人々の反感を買い、1947年2月28日のある事件がきっかけで、各地で反乱が起こり、中国から派遣された国民党の軍隊に台湾人エリート層を中心に何万人もの台湾人が虐殺された事件。 | |
夕食 高雄後駅の「駅站食堂」 張さんにご馳走になる。 |
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おいしい料理をたくさんいただいて残った料理は 持ち帰りさせてもらいました。 |
日本の懐かしい絵がたくさんかざってあります。 この絵が目的で来店する人もあるとか。 |
このレストランの向かいは台鉄が走っています。 この台鉄ももうすぐ地下にもぐります。 |
張さんが絶対おいしいと自信を持って ご馳走してくださった。 料理の記録 次回来る時には注文します。 料理名 菜脯蛋 紅橈豆腐 (蝦仁・卵)炒飯 糖醋魚 炒空心菜 味噌豆腐湯 金針肉縷?湯 |
7月7日 清新温泉へ 台中の西部の山の上にある温泉へ。内湯、露天風呂色々な温泉でゆっくり体を休めました。 昼食は温泉の中華レストランで |
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ロビーから台中市内が一望できます。 |
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7月8日台北 蓄音機博物館 昆虫博物館へ TARP会員でLSC会員でもある頼氏のお誘いで、開南高級商工職業学校内にある「蓄音機博物館」へ この博物館を紹介してくださったのはTARP台北の林理事長である。この学校の校長林本博氏自ら、珍しい蓄音機の数々を紹介してもらい、実際にレコードも聞かせてもらった。大変な数の蓄音機が収集されていて、実際に使用できる状態に保たれている。発明したエジソンの時代のものからほとんどあるようだ。レコードを聞かせてもらうと同時にその映像まで流れ、時代背景が良くわかる。この行き届いた博物館に心底感動した。なおこの博物館は一般公開されていない。 |
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玄関を入ると「歓迎 台湾銀髪族協会並びに日本友人来訪」で」迎えられる |
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蓄音機博物館 TARP台北理事長林氏(前列向って一番左)の紹介で、同じくTARP頼氏{前列右から3番目) に引率されて。開南高級商工職業学校へ。 後列中央が林本博校長 |
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数々ある収集品の蓄音機を校長自ら聞かせてくださる |
レコードの音声と共に映される映像も興味深い |
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TARP台北市理事長林とLSCリーダーから林校長に感謝状 |
会場風景 |
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***動画で見てください***
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昼食は元市長官邸のレストラン「滋味養心」で 1940年日本統治時代に建てられた市長官邸 として完全に保存されている |
案内していただいた頼氏とTARPの会員さん |
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昼食後は昆虫博物館へ 台北市立成功高級中学校内 |
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昆虫博物館の名誉館長 陳先生が少年時代より今に 至るまで、心血を注いで収集された蝶、昆虫の博物館 |
子供たちにも分かりやすいように展示が工夫されている。 |
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広い会場に蝶や昆虫の標本がいっぱい |
写真と共に分かりやすく説明されている |
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蝴蝶宮殿 半世紀前、生活苦の原住民の生活のために蝶を捕獲して製品の 装飾にして生活を改善した。(政府の奨励で) |
1万6千匹の蝶を使って、中国古代の宮殿の天井を再現 |
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士林観光夜市へ 頼氏の案内で地下鉄淡水線剣潭駅下車 士林市場へ |
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台北で最も規模が大きい士林観光夜市 |
まずはパパイヤミルク(台湾を代表するジュース)でホッと一息、 |
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新設された士林市場、地下はフードコート |
フードコート美食広場で夕食 |
7月9日 振英会館一日バスツアー④ 裡山塾 有機農場体験 裡山塾の意図がいまひとつ理解しきれなかったのですが、スタッフの説明の中に、「日本の里山の考えを取り入れている」と何回も言われていたので、自然と人間の生活を調和させるための勉強、実習をしているのではないかと思う。、 |
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よく勉強し、実習した参加者の皆さん |
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実習したこと |
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稲刈り実習 台湾は米の2期作、南部は3期作 |
刈り取ったらすぐさま脱穀する。 |
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豆腐つくり 1 遺伝子組み換えの大豆は使わない。 |
豆腐つくり 2 |
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わらを溶かして紙漉き |
漉いた紙に月桃で編んだ鹿を飾った。 |
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7月10日 振英会館一日バスツアー⑤ 嘉義 布袋漁場・塩田 | |
布袋港から観光船 出港はにぎやかに出港の歌から |
引率の振英会館のよしみさん 「皆さん、船の酔い止め薬飲みましたか?」 「そんなこと聞いてないよ。」続いて彼女 「今から飲んでも手遅れです。 酔う人はカラオケを歌うと酔いません」 船に弱い私は一生懸命歌いました。不思議!まったく 酔いませんでした。船酔いにはカラオケですね。 |
船長さん養殖の牡蠣を引き上げます。 |
さっそく身を取り出して試食 |
港の内も外も一面の牡蠣の養殖 |
船上レストランで昼食の後、干潮で干上がった砂地に上陸 |
布袋塩田へ移動 1824年塩田建設 1943年日本人が現代技術を使い塩田を建設。2001年塩田を中止。2008年土地の人々と、年老いた塩職人の手で再建し、3年後塩田を復元させた。 天日製塩と自然のバランスを如何にとるか、環境教育の一環としてこの布袋 洲南塩田で実習を実施している。(洲南塩場のパンフレットより抜粋) 私たちもこの実習に参加した。塩田では強い太陽の下、塩が結晶していて、その塩を集めて天秤棒で運んだ。 |
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塩田を自分の足で体験する。 |
太陽光と季節風でできた塩を採集する。 |
着色された塩で小物つくり |
出来上がり。 |
朴子市へ 朴子市在住15年という日本人林さんが、朴市の市役所から私たち一行の案内をするように頼まれた、ということで案内してもらった。 |
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刺繍文化館 日本統治時代は塩の集積場所 |
「水道頭」 日本統治時代に作られた上水道タンク。1935年完成 第2次大戦時の被弾跡が今もたくさん残っている。 |
今も保存されている日本時代の警察官の家 これから完全に修復される予定 |
東石郡役所 現在は朴子警察署 日本時代の郡役所 案内してくれた林さんの話によると台北の総督府にも匹敵する 美しい建物とのこと |
7月11日 虫刺されで医院へ {小黒蚊}? |
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足と腕の虫刺されがいつまでたっても治らず、遂に水ぶくれまでできるようになって、かゆくて眠れないので、フロントに相談すると、すぐさま医者につれて行ってくれました。フロントの女性にすべての手続き、通訳もしてもらったのでスムースに診察を受けることができました。虫刺されにアレルギー症状を起こし、その上細菌に感染したとのことで、塗り薬、飲み薬をもらいました。診察料、薬代込みで一人400元。夫婦同じ症状で二人で見てもらう。夫は症状が軽いので、飲み薬なし。薬が多くても、少なくても一律の料金で先払いでした。 この原因の虫は「小黒蚊」だそうですが、蚊というよりブトのようです。薬局の薬剤師さんや台日会の人の説明によると、台中の新社、大杭あたりの竹子樹の木の下に生息しているのだそうで、台中だけにいるのだそうです。仲間の多くも刺されて、ひどいかゆみに襲われましたが、だれもその姿を見たことがない小さなブトのようです。台中に滞在するときは刺されない対策をしておく必要です。同行の仲間の情報では、刺されないための予防として「樟脳油」、刺された後は「舒癢」shu yangという薬が効くそうです。日本語の通じる薬局もたくさんあるので、相談してみると良いです。 |
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7月12日 午前 太極拳 午後 中国語教室 |
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7月13日 LSC仲間は台北で開催された TARPの演芸成果発表会へ 私たちは台中市内観光 |
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孔子廟 |
孔子廟ですごい美人と |
忠烈祠 |
宝覚寺 |
日本陸海軍人として戦い戦士した台湾人3万3千余人の慰霊碑 |
慰霊碑の説明 |
7月14日 振英会館一日バスツアー⑥ 南投県 集集線 水里へ この集集線は台湾の三大ローカル線の中でも最も人気の高い路線。日本統治時代の歴史、建物も大切に保存され、私たち日本人にも興味は尽きない。、 |
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台湾人に最も人気のある集集駅で自転車を借りてサイクリング |
緑のトンネルを走ります |
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1933年建築の日本建築駅舎 1999、9,21地震の後原状回復で再建された。 台湾人に最も人気が高い集集線集集駅 |
集集線の終点の駅 |
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集集線 終点 |
貯水池の周り 環湖歩道 |
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木業展示館 |
1960年振昌木業 良質の桧で栄えた |
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貯木池と木材を吊り上げる天車 右の説明板によると、この池に木材を浮かべて沈木と浮木にわけ 沈木はトラックで、浮木は鉄道で運んだ。 また、この貯木場で売買もされた。 |
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林業の歴史 |
車埕の栄光の歴史 |
ダムと発電所の歴史 |
トロッコ道、鉄道の歴史 |
車埕は緑深いすばらしいところであった。写真に写してきた説明文によるとすばらしい歴史を持った場所であることが分かった。他の地域と同様、開発にはやはり日本統治時代の日本が深くかかわっていることも分かった。1912年埔里に作られた製糖工場へ砂糖キビを運ぶためのトロッコ道が敷かれ、車埕は当時はその中間駅であった。1919年 車埕の発電所を建設するため、二水、車埕間の集集支線を拡張した。林業が盛んになるのは日本時代が終わった後、国の政策で良質の桧が伐採され、輸出もされこの町も非常に栄えた。現在は伐採が禁止され、1994年以降、観光地として人気を集めている。 |
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車埕 日本時代に作られた明潭ダム 環境にやさしい「流れ込み式水力発電所」 |
昼食は水里「丹姐私房菜」で |
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水里へ 日本統治時代から1970年代まで樟樹の伐採事業が盛んで、林業で栄えた。上流には4つの大きな発電所があり、雄大なダムと大きな湖が散在している。 |
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水里蛇窯1927年創業 現在は国内初の地域、生活、文化、芸術、観光、教育を 結びつけた陶芸文化圏区として活動している。 |
参加者全員記念撮影 |
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入り口の看板には「昭和二年設立」とある |
この登り窯の形で蛇窯といわれている |
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1999、9,21大地震の震源地記念碑 |
復興と平和を願って作成された 6,68M世界一高い陶器 |
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天空の橋 |
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絶景ですが高所恐怖症はただ前を向いて歩くのみ |
ツアー中も至れりつくせりの振英会館スタッフと |
7月15日 昭和5年10月27日起きた「霧社事件実記」をLSC仲間より借り受ける。 この本は霧社事件が起きた翌年、台湾総督府が発表した「霧社事件の真相」記録と、著者が当時の新聞等に発表されなかった発生時における隠れたる功労者や逸話を集め、その功績の事実を書いて犠牲者を世の記憶にとどめようとの意図で書かれた、大変貴重な資料と思えるので、自分でも是非手元に置きたく、印刷会社にコピーを依頼した。(1冊コピー代150ページで112元約370円。 1週間後にコピー本が出来上がったが、きれいな装丁であった。) |
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昭和6年(1931年)に発行されているので読んでいるうちに 破れそうなので、新しくコピーを依頼。 |
台湾のおかゆには必ず油条が入っていると聞いて 昼食に「粥神」に確かめに行った。上に載っているのが油条 |
7月16日 霧峰林家花園へ | |
霧峰林家は台湾の5代ファミリーの一つ。4大庭園の一つに数えられている霧峰林家花園を訪れた。 この霧峰林家は政治的、経済的、文化面に台湾を代表する家族である。 私たち夫婦が日本の地元の中国語教室で、先生から林家のそうゆう氏を紹介されて、氏に連絡を取ったところ、滞在先の振英会館の頼オーナーと台中一中の同窓生で、振英会館に月に一度同窓会で訪れているとのこと、その偶然に非常にびっくりした。というわけで今回振英会館に滞在しているLSCの仲間19名で、林そうゆう氏ご夫妻に霧峰林家花園を1日かけて案内してもらうことになった。 林家花園は1999年9月21日の大地震で壊滅的な被害が発生したが、現在ほぼ再建、修復され、見学も可能になった。 |
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霧峰林家 「萊園」 飛觴酔月亭 後方 五桂楼 |
五桂楼前で参加者全員記念撮影 |
林家の一員、林そうゆう氏ご夫妻に案内してもらう |
下林家(しもりんけ)の家系図 そうゆう氏と奥様の名前もある |
下(しも)林家 「大花廳」前で |
下(しも)林家 「大花廳」の舞台 李香蘭もここで演じたとか。 林そうゆう氏はこの舞台で貫一お宮の芝居を見たそうだ |
上(かみ)林家 景薫楼入り口の門 「台湾議会の父」「台湾第一の人」と呼ばれている 林献堂の居宅 |
上(かみ)林家の家系図 上林家 下林家共に台湾を代表する人物を輩出している |
林献堂がくつろいだところ |
林献堂居室 |
「林献堂」について この人物について今迄全く知らなかったが、いろいろ調べて見ると台湾にとっても、日本にとっても、台湾を代表する人物である。今でも「台湾第一の人」「台湾議会の父」と呼ばれ、最も尊敬されている人物である。日本統治時代、それまでの武力による抗日運動から、平和的手段により、法的な平等や、経済的平等を得たうえで、日本の議会に代表を送り込み、日本の植民地政策に影響を与えるようにすべきとして、穏健的な民族運動を原則とした。この目的のため、台湾人出資による中学校を設立を請願し、公立台中中学(台中一中)の設立を実現した。また、経済的には台湾電力会社、台湾製糖会社を設立し、また、台湾人の株式会社を金融面で支援するため「大東信託株会社」を設立した。自由民権運動で有名な板垣退助等とも協力して、台湾人への差別の撤廃に努力した。 1956年77歳 東京で死去 |
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林献堂 祖母の部屋 |
下(しも)林家の将軍府の門 |
「林献堂文物館」で私たちを待っていてくださった林芳媖氏(向って左端) 林芳媖氏は林献堂のお孫さんで、この文物館を作った私立明台高級中学理事長である。右から2番目の林校長と共に迎えてくださり 挨拶をいただいた 一番右の方は本日 説明して下さった明台高級中の許先生 文物館はこの建物の2階にあり、説明を受けながらゆっくり観覧した。(撮影禁止) |
台湾4大庭園の一つ霧峰林家 「萊園」 明台高級中学校内にある。 9,21大地震の再建もほぼ終わり、観覧できるようになった。 この庭園は林献堂の政治活動、 文化活動等の色々な催しが行われた。 |
7月17日 台中一中同窓会とFarewell Party 台中一中の卒業生、昭和4,5年生まれ85歳 15歳(中学3年)まで日本人だった。振英会館の頼オーナーが1年のとき級長(龍頭というそうです)だった関係で、毎月振英会館で同窓会が開かれているそうだ。その同窓会に合流して私たちのFarewell Partを開いてもらった。一中同窓生の皆様は全員流暢な日本語である。皆さんそれぞれの分野でトップの活躍をされており、日本の古典・歴史なども良くご存知であった。日本統治時代から現在までの歴史の生き証人で、実際に伺った話はとても興味深いものだった。前日、一日かけて林家花園を案内してくださった、林そうゆう氏ご夫妻も出席されていて この日もいろいろお話を伺うことができた。それにしても皆さんの元気溌剌なお姿にびっくりしました。 |
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パーテイの様子1 |
パーテイの様子2 |
LSCのリーダーによる乾杯の音頭 |
台中一中同窓会の会長挨拶 |
会場の振英会館オーナー頼氏の挨拶 |
テレビ局社長の田氏の話 台湾と日本の関係 本音の話をしてもらいとても勉強になった |
黄氏 明治天皇の御製を朗々と詠う。 メモも見ないで3首紹介してもらったが、現在の日本人、少なくとも私は、全く知らない歌である。台湾の年配の方が大切にされていることにとても複雑な思いがした。 |
黄氏にこの歌の意味を尋ねると 「明治天皇が台湾の人々が日本の国民として、日本のもとに 発展していることがうれしい、と読まれた歌です」と 解説された。 |
黄氏に教えてもらった明治天皇の御製3首 「新高の山のふもとの民草も、繁りまさると聞くぞうれしき」 「朝みどり 澄みわたりたる大空の 広きおのが心ともがな」 「さしのぼる 朝日のごとくさわやかに もたまほしきは心ともがな 」 |
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林そうゆう御夫妻と |
7月18日 蘆山温泉 霧社へ バス南投客運 台中干城站から霧社まで1時間。途中埔里で一度運賃清算。霧社から蘆山温泉へは約20分。 かねてより是非訪れたかったところ。ここは日本統治時代、1930年10月に最大の反日武力闘争「霧社事件」があったところで、日本人の犠牲者、小学生も含めて 134名。 現地の蜂起した側の死者約700名。その場所をこの目で確かめたくて出かけた。 蘆山温泉、霧社は標高3000mの中央山脈の中にあり、深い渓谷に囲まれた緑豊かで風光明媚な地域である。この渓谷をドライブするだけでも見ごたえのある風景である。 |
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先ずは蘆山温泉の地図をホテルで手に入れる |
偶然バスの中で一緒だった婦人に店先で出会いお茶を ご馳走になる。ご馳走になったらやはり買わねば なりません。蘆山温泉の山の上、標高2600Mで栽 培されているという高山茶をお土産に買った。 |
蘆山温泉の目玉 つり橋 |
蘆山温泉 日本統治時代は富士温泉と呼ばれていた。 |
霧社事件のマヘボ族の頭目モーナルダオの妻 |
霧社事件の古戦場を歩く。 |
ここはマヘボ族の居住区域、高原野菜が栽培されている |
霧社事件の原住民の指導者モーナルダオ |
モーナルダオを祀る碑と祠 |
日本軍隊、警察と最後に戦った古戦場跡 |
蘆山温泉を囲む山々は標高2600Mに達し茶の栽培が盛ん |
地熱井 温泉が噴出している |
蘆山温泉の周辺にでは小鳥や蝶々がいっぱいです。次の動画で見てください。 |
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蘆山温泉街は深い谷あいで落ち着いた雰囲気 今回は見るだけ、次回は是非宿泊したい! |
蘆山温泉よりこのバスで霧社へ |
霧社へ 蘆山温泉からバスで20分 霧社は海抜1148mの高地にある。日本統治時代、この山の上の霧社に多くの日本人が住んでいて、原住民による抗日事件の犠牲になった。埔里から霧社に登っていスネーク道路の景色は美しい。美しい景色と共に、事件当時に思いを馳せて感慨深い一日であった。 |
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当時霧社神社(霧が丘神社)があったところ。 事件の際、犠牲者の首を並べたところと言われている。 |
霧社山胞抗日起義記念碑入り口の門 |
事件の頭目 モーナルダオの墓 |
墓の両側、戦いの様子を描いたレリーフ |
「抗日英雄モーナルダオ」の像 |
霧社原住民抗日の像 |
モーナルダオ頭目の家 |
説明板の写真より 事件の中心になったマヘボ社の当時の居住地、蘆山温泉の山の中 |
説明板の写真より 日本人霧社事件殉難殉職者の墓、今は土台のみ残っている |
台湾6大ダムの一つ 霧社ダム 碧湖 周囲を3000M級の高山に囲まれた美しいダム湖 |
7月19日 午前太極拳 午後中国語講座 | |
夕方 台日会との食事会 於 小龍園 幹事は榊さん夫妻、台日会の会員さん7名出席、「日台の架け橋」の著者喜早氏も出席されていた。食事をしながら台日会の方からいろいろ興味深い話を伺った。台湾人は閩南語を話す河洛人が75%で、この閩南語がいわゆる台湾語と言われていることや、 私たちを悩ませた小黒蚊などの情報など、伺った話はとても勉強になった。 食事会が終わった後、台日会、LSC有志でカラオケに。夜遅くまで大変なもりあがりだったそうです。 |
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男子組みの乾杯 右側の手前から4人目「日台の架け橋」の著者 喜早氏 |
女子組みの乾杯 画面左側から3人目、台日会会長黄さん(通称みどりさん) |
料理もおいしかった。 |
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7月20日 鹿港へ 交通手段 中鹿客運干城バスターミナルからバスで1時間15分、が一般的であるが 私たちは台鉄にのって彰化駅へ、彰化バスに乗り変えて鹿港へ。 清の時代の貿易で栄えた港。歴史的、文化的に価値のある廟と家、町並みが保存されている。 |
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天后宮前は観光客でいっぱい 台湾のあらゆるところに天后宮があるが、この鹿港の媽祖廟は 1591年台湾で初めて建てられた。 |
華やかな天后宮の境内 大陸の福建省から直接媽祖像を迎えた寺は 台湾本島ではこの寺だけ |
鹿港民族文物館 元は鹿港の名家(台湾5大名家の一つ辜顕栄氏の自宅) バロック様式の建物 この建物の奥には200年の伝統を持つ閩南式の「古風館」がある |
内部は福建式伝統家屋 各部屋、家具や食器類が当時のまま保存されている。 又、台湾開拓時代の生活も忠実に再現されている |
民族文物館庭園 |
庭園、異なる角度から |
昼食は鹿港名物 シャコ、えび、かになどのから揚げなど |
鹿港名物 牛舌餅 |
鹿港 芸術村 |
名物とあれば食べてみなくては 牛舌餅 1枚8元 |
九曲巷 |
北東季節風の強い風や砂の被害を受けないようにつくられた |
台湾第一級古蹟 龍山寺 |
台湾寺廟でトップクラスの名刹 清朝の建物様式が最も完全な形で残されている。 |
龍山寺の五門 |
五門の天井「八卦藻井」細工の細かい美しい木の彫刻 釘は一本も使われていない |
境内榕樹の下で一休み |
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夕方から中国語の先生との食事会 於「祐華小館」 |
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この日も楊先生から台湾についてたくさん学びました。 |
こちらのグループは林先生 黄先生を囲んで大盛り上がり |
7月21日 帰国準備 土産のCDを買うために、バスで新光三越デパートへ |
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7月22日 帰国準備 最後の夕食 いつも多くの人が並んで待っていた火鍋の店「軽井沢」へ |
激辛鍋 四川鍋 |
大根おろし、にんにくのみじん切り等でいただくとまろやかになって たべやすい。おいしかった! |
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7月23日 大型台風到来の中、LSC仲間は帰国 私たちはマレーシアへ 私たちの滞在中一度も雨に会わず、雨傘を使ったことは一度もなかったのに、なんと最後の日に大型台風に見舞われて帰国の航空便に大きな乱れが起きた。さすがLCC以外の航空機は予定通り飛んだようであるが、LCCはこんなときは大変。大幅に出発時間が遅れて、あるグループは関空から自宅に帰れず、関空で一夜を過ごした。 私たちはマレーシアにAIR ASIAで飛んだが夜の8時着の予定が次の日の午前2時半にKL到着。あらかじめ予約していた空港に隣接するTUNE HOTEL に宿泊した。LCCの新しいターミナルのTUNE HOTELは以前のものより部屋も広く使いやすい。このようなときには本当にありがたいホテルであった。 |
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前回の高雄滞在も感動の毎日であったが、今回の台中も負けず劣らず感動の毎日であった。毎日のように記録に残したい体験がいっぱいあり、HPの記録つくりに時間がかかった。滞在中毎日好天続きで、35℃前後の蒸し暑い日々であったが、仲間全員、暑さに負けることなく、日々精力的に観光にでかけ、行事に参加した。お互いそのタフさに感心しあっていた。ほとんどの人が老齢優待を受ける年齢であったが、この人達の元気さはどこから来るのだろう。 台湾人のすばらしさ、安くて便利な交通機関、多くの整備された観光地、おいしい果物、食事、・・・・ますます台湾が好きになった。 HPに記録するにあたりもう一度観光地のパンフレットを見返してみると、まだまだたくさんの行きたいところや知りたい歴史があるので、これから何度も訪れたいという今の思いである。 振英会館のスタッフの皆様、お世話になった台湾の皆様 そして今回滞在のリーダー神原ご夫妻、同行の皆様 謝謝!謝謝! ほんとうにありがとうございました。 |
今回の費用 2人分 | |
飛行機代 (関空ー台湾ーKLー関空)の2分の1 |
35,000 |
宿泊費 | 110,250 |
水道光熱費 | 13,170 |
スマホ通信費 電話代 | 4,900 |
食事代 | 38,000 |
ゴルフ | 13,400 |
観光及び交通費 | 44,700 |
その他 | 22,500 |
合計 | 281,920 円 |