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厳寒のロシアの首都モスクワ、および前首都でロシアで一番美しい街であるサンクトペテルブルグへに行ってきた 感想 *−15℃厳寒の時期とはいえ思ったほど寒さはこたえない。外は確かにきゅっと引き締まる寒さであるが、室内はどこに行っても暑いくらい暖かい。外用に服を着こんでいるとあせが出る。室内では半袖の人もいるから、衣服の調節は工夫が必要。 *ロシア帝国の遺産は素晴らしい!見ごたえ十分 |
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世界遺産 サンクト・ペテルブルグ エルミタージュ美術館 |
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世界遺産 サンクトペテルブルグ エカテリーナ宮殿 |
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世界遺産 サンクト・ペテルブルグ 血の上の救世主教会 |
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世界遺産 モスクワ郊外 ロシア正教の聖地 セルギエフ・ポサート |
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世界遺産 モスクワ クレムリン |
世界遺産 赤の広場 聖ヴァシーリー聖堂 |
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旅行社 クラブツーリズム 主な日程 1日目 伊丹ー成田ーモスクワーサンクトペテルブルグ 2日目 サンクト・ペテルブルグ市内観光 エルミタージュ劇場にてバレー「くるみ割り人形」鑑賞 3日目 エルミタージュ美術館 4日目 エカテリーナ宮殿 その後モスクワへ移動 5日目 「黄金の環」の1つである世界遺産 セルギエフ・ポサート観光 モスクワ市内 世界遺産ノヴオデーヴイッチ修道院 6日目 モスクワ クレムリン 赤の広場 7日目 帰国 宿 サンクト・ペテルブルグ COURTYARD BY MARRIOTT VASILIEV (マリオットホテル) 3泊 モスクワ HOLIDAY INN SUSCHEVSKY(ホリデイ イン) 2泊 |
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1日目 集合伊丹空港7:00 我が家からはぎりぎり間に合わないので、川西に宿泊 JAL国内便で成田へ 千葉銀行でロシアルーブルに両替え 薄暗いシベリア上空を飛んでモスクワへ S7エアライン国内便でサンクトペテルブルグへ |
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2日目 サンクト・ペテルブルグ観光 サンクト・ペテルブルグはピヨートル大帝が1703年からフィンランド湾にそそぐネバ川の沼地に建設し、1712年モスクワから遷都し、1918年まで200年余にわたって首都となり、ヨーロッパの近代国家へと発展させた。 (サンクト・ペテルブルグの名の由来、ピョートル大帝の名の由来である、守護聖人、聖ペテロの名を冠した。) |
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日露戦争の日本海海戦でただ1隻残ったバルチック艦隊のオーロラ号 フィリピンのマニラで修理の後帰還、現在ネバ川で博物館として公開されている (ちなみに日露戦争の日本海戦で東郷平八郎司令長官の乗った旗艦船「三笠」は神奈川県横須賀市で観覧できる) |
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ネバ川の航路の安全のため19世紀初頭に建設された ロストロの灯台 |
ペトロパヴロフスク要塞 ペテルブルグ発祥の地 1703年ここに建てられた木造の大聖堂から街の歴史が始まった。 歴代皇帝の霊廟がある。最後の皇帝ニコライ2世もここに改葬された。 日本のDNA技術でニコライ2世本人の遺骨をほぼ断定できたとのこと。 |
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イサーク大聖堂 1825年即位したニコライ1世が建設。着工から40年 収容人数およそ1万4千人 奥行110m 幅97m地上の高さ101m。 世界屈指の巨大な聖堂 |
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サンクト・ペテルブルグを建設した ピョートル大帝の像 |
元老院広場にある |
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元老院広場 デカブリストの乱で有名 祖国の後進性を憂う青年将校たちが1825年この広場で蜂起。 皇帝ニコライ1世により鎮圧された |
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イサーク聖堂とニコライ1世の銅像 |
元老院 |
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カザン大聖堂 ロシア正教会 エカテリーナ2世の息子バーヴェル1世が建築 1812年の祖国戦争(ナポレオン戦争)の勝利に 貢献したクトウゾフ将軍が葬られている。 |
モイカ運河 サンクトペテルブルグは運河の町 | ||
文学カフェ 名だたる文豪たちが通った老舗のレストラン |
ロシア人に人気の詩人プーシキンが 最後の決闘に向かう前に立ち寄った逸話が有名 |
ウオッカ |
ボルシチ |
このレストランに通った文豪たちの写真 |
右側の写真がプーシキンか? |
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スモールヌイ聖堂 修道院 松脂(スモールヌイ)工場の跡地に建てられた エリザベータ女帝時代 イタリアの建築家ラストレリが建設 |
ネバ川ピュートル大帝 夏の庭園 |
血の上の教会 スパース・ナ・クラヴィー聖堂 皇帝アレクサンドル2世が暗殺された現場跡に建てられた。 |
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エカテリーナ2世像 芸術広場 プーシキン像 |
ロシア美術館 |
エカテリーナ2世像 後ろの建物は歴史が最も古い劇場 |
エカテリーナ2世と彼女を支えた12人の愛人の銅像 愛人たちは常に最も大切な存在だった。 |
メイン道路 ネフスキー大通り |
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エルミタージュ劇場 ロマノフ王朝の皇帝が皇族のためだけに作った劇場 バレー くるみ割り人形鑑賞 |
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エルミタージュ劇場 舞台 |
くるみ割り人形のフィナーレ 世界最高峰のエンターテーメント |
エルミタージュ劇場の入り口 |
エルミタージュ美術館の夜景 |
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3日目 エルミタージュ美術館 ロマノフ王朝ロシア帝国の栄華が築き上げた豪華絢爛な宮殿。(エルミタージュの語源と歴史。 エカテリーナ2世が西欧絵画225点を搬入。フランス語で「隠れ家」意味する「エルミタージュ」と命名、1852年皇室博物館として招待客に公開。1859年に一般公開。1917年ロシア革命で「国立博物館」となり、貴族たちの個人コレクションが国有化されて収用された)) 世界4大美術館の一つで310万点余りの収蔵品が展示されている。 (モデルコースには入っていないが、3階の日本の展示コーナーには、明治24年、日本の警察官に切り付けられ負傷したニコライ皇太子が明治天皇からお見舞いとして送られた品や、ニコライ皇太子自身が買い集めた品々、革命が起きた当時の貴族たちが収集していた日本の名品等が数多く収納展示されている。残念ながらこの部屋だけ撮影禁止。なんで??) |
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エルミタージュ美術館 |
宮殿広場 アレクサンドルの円柱 |
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旧参謀本部 建物の左側がエルミタージュ美術館別館 日露戦争中の1905年1月9日 労働者が皇帝への請願活動のため中央の アーチ状の門から入場した。それに対して軍隊が発砲し約1000名 の死者が出た「血の日曜日事件」が起きたところ →ロシア社会主義革命へ |
エルミタージュ美術館の入り口 |
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大使の階段 |
大使の階段 |
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ピュートル大帝 |
玉座の間 |
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1812年祖国戦争(ナポレオンのモスクワ遠征)の勇士の画廊 |
紋章の間 |
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2階にある空中庭園 花の季節はとても美しいとか |
パビリオンの間の孔雀時計 エカテリーナ2世の愛人であり生涯彼女の最も信頼がおける友人のグレゴリー・ポチョムキン侯爵がエカテリーナ2世に送ったもの |
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エルミタージュ美術館のカフェで昼食 サンドウイッチ サラダコーヒー 味は今一つ 仲間の話ではおいしいサンドウイッもあるとか |
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レオナルド・ダ・ビンチ 「リッタの聖母」 |
レオナルド・ダ・ビンチ 「聖母子」 |
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別館 旧参謀本部内(本館3階より絵画の一部が移転) 20世紀初めの西欧美術が集められている。モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソ、マチイスなどおなじみの画家の作品がある。 |
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モネ |
ドガ |
ルノアール |
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別館から見る宮殿広場 中央の塔はアレクサンドルの支柱 |
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マチス 「ダンス」 |
セザンヌ |
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エルミタージュ美術館から見えるライトアップされた ペトロパブロフスク要塞 |
ネバ川に架かる跳ね橋。今は川が凍って船が通らない。向こう側には砕氷船もつながれている。 |
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4日目 エカチェリーナ宮殿 (市の中心部から30km南にある皇帝の村と呼ばれるツアールスコエ・セローにある) |
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運河 |
凱旋門 露土戦争の勝利を祝って建てられた |
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レーニン像 |
プーシキン像 |
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エカテチェリーナ宮殿 1941年第2次世界大戦でドイツ軍にレニングラード攻防戦でこの宮殿も破壊された。現在外観は修復されたが、内部は今も修復工事が続いている。 |
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ピュートル大帝が皇妃エカチェリーナのために建てた宮殿 エカチェリーナ宮殿 |
二人の間に生まれた女帝エリザベータ が1752年建築家ラストレリに命じて豪華なバロック様式の 宮殿に改築 母の名を冠してエカチェリーナ宮殿と名付けた。 |
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女帝エリザベータ |
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エカテリーナ2世 |
踊り場にある「キューピットの目覚め」像 1860年 B.Gブロドツキーの彫刻 反対側には「眠れるキューピット」像がある。 |
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アレクサンドル1世 |
チャールズ大帝 |
最後の皇帝ニコライ2世 |
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大広間 大黒屋光太夫がエカテリーナ二世に謁見した部屋 |
立派な鏡 とてもきれいに写る。鏡に映った私 |
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白の主食堂 |
部屋と部屋をつなぐ豪華な回廊 |
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5日目 世界文化遺産 ロシア正教会の聖地 トロイツエ・セルギェフ大聖堂 (モスクワの北70kmにある「黄金の環」の1つであるセルギエフ・ポサードにある) 4世紀半ば、当時この地はモンゴルの支配下にあって、ロシアの人々は苦しんでいた。この地で隠棲していた、修道僧セルギー・ラドネシスキーはロシアの諸公を結集させて、モンゴル帝国 キプチャク・ハーン国に勝利する。自身も戦いに加わって英雄となった後も、この森で信仰生活を送った。死後聖人に列せられたセルギーの棺が安置された場所にトロイツキー聖堂が建てられた。以後16世紀のイワン雷帝がウスペンスキー聖堂、18世紀に女帝エリザベータから「大修道院」の称号を授けられバロック式の鐘楼やなどが建てられて全景が完成。ロシア正教会の聖地として多くの信者が訪れる。 |
大修道院聖門クラスナヤ門 |
鐘楼 1870年に完成。高さ87m。87個の鐘が設置されている |
食堂付属セルギエフ聖堂 |
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ウスペンスキー聖堂 |
トロイツキー聖堂 |
マトリョーシカの製造工場 40年のベテラン職人 素晴らしい手つき |
マトリョーシカの絵付け体験 |
完成したマトリョーシカの力作 |
モスクワ市内ノヴオデーヴィッチ修道院 世界遺産 |
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多くの著名人が眠る。チャールズ大帝の姉が謀反を起こした疑惑でこの修道院に閉じ込められたことでも有名。 チャイコフスキーの「白鳥の湖」はこの美しい湖を見て作られた。湖はこの時期は凍りついてノルデイックスキー場となっている。 |
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6日目 モスクワ クレムリン (元々「クレムリン」とは「要塞」を意味しており昔は大きな町にはどこにもあり今もクレムリンと言われている) クレムリンは歴代皇帝の住まいにして権力の中枢でありロシア正教の中心地、現在も国の中枢である。世界遺産。 |
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クレムリンの外壁 |
入り口のトロイツカヤ塔 |
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ウスペンスキー大聖堂 |
ブラゴヴェシェンスキー大聖堂 |
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イワン大帝の鐘楼 |
大クレムリン宮殿 外国政府の要人との会見や国家祝典などに利用されている。すなわち日本の要人がプーチン大統領と会うところはこの宮殿 |
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革命後レーニンの住まい。今は大統領府 プーチン大統領の執務室があるところ |
大砲の皇帝 1580年の鋳造時口径89CM重さ40トンの大砲は世界最大。一度も使ったことがない。下部には砲丸もあるが大きすぎ。 |
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イワン大帝の鐘楼。16世紀初めに建設される |
鐘の皇帝 1735年に制作されたが途中で1部が欠けたため 未完成。重さ200t。右が欠けたところ |
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モスクワ川 |
ヘリコプター発着場 |
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夏には花が咲き乱れる庭園 |
出口のスパスカヤ塔 |
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赤の広場 |
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レーニン廟、日本の社会主義者の片山潜の墓標もある |
聖ヴァシーリー聖堂 南側より |
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聖ヴァシーリー聖堂 |
国立歴史博物館 |
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グム百貨店 (グムは国営百貨店の略称である。内部は3階建ての3つのアーケードに分かれている) |
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外観は宮殿のよう |
内部は3階建ての3つのアーケードがある |
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3階のフードコートでピロシキとコーヒー |
中央の噴水 |
7日目 モスクワより成田ー羽田ー伊丹経由で帰国 |
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土産品 (ガイドさんおすすめの品) |
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日本で人気のマトリューシカのタブレット。カザン聖堂の近所のスターバックス・コーヒーで購入。 観光客の中にはわざわざタクシーで買いに来る人もいるとか。私たちは2個購入。ラッキー。 |
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食事 いつもスープ付き スープはいつもおいしかった。
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旅を終えて @ 服装 恐れていた厳寒の季節の旅行 服装の対策を取っておけば大丈夫であった。問題は室内での服装。室内はどこの建物も集中暖房で25℃以上ある。室内では夏服でもよいくらいなので、長く滞在する場所では着脱ができるよう工夫が必要。某社の「極暖」の下着などを着ていると汗びっしょりとなる。(下には夏用、外套は毛皮のコートが良い?) A 観光 さすがロシア帝国の首都 サンクトペテルブルグとモスクワ、皇帝の絶大なる専制君主の力で、素晴らしい建築物が残されていて見ごたえ十分。ロシアの国土はほとんどが1年の半分以上氷の世界。生産量は少ないと思われるのに、これだけ豪華な建築物を作るとは。国民の生活は大変であっただろうと思い、平等の社会主義革命が起きたのも無理がないのではと思われた。 B ロシア人 今回の旅で接した人々は大変な親日家。当然なことではあるが、案内してくれた二人の現地ガイドさんは大変な日本びいきで、自分の知っている限りを私たちに伝えようと、心を込めて説明してくれた。二人とも「日本大好き」と何回も言っていたが、お世辞には聞こえなかった。 C 費用 ツアー代 (1人) 基本旅費140,000 成田〜羽田リムジン3100 査証取得手数料5,400 空港税合計5500合計154000円 但し一人査証手続き期間海外に出かけていたため改めて手続きが必要だったため追加手数料4000円がプラスされた。 2人計31万2000円 両替3万円 (ルーブル 2.3円) 成田空港 千葉銀行にて |
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