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ピンウーリン(又はメイミョー)の位置 |
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16年前に訪れたミャンマーの好印象が忘れがたく、 この夏再度ミャンマーを訪れることにした。 ミャンマーは今は雨季, どのような滞在になるでしょうか。 |
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“こんにちわ” |
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滞在地ピンウーリン(Pyin Oo Lwin) 旧名メイヨーについて ミャンマーのほぼ中央部、マンダレーから車で約2時間標高1100M、英領時代イギリス人の別荘地として有名。現在も当時のコロニアル風の建物が数多く残っている。 ミャンマーの中で最も涼しい気候に恵まれたこの地は、北部の町や中国雲南省に通じる交通の要所で、いまや人口70万人を越す大都市。各政府の機関、防衛大学他、各種国立大学、有名私学、ミャンマー陸軍基地などが置かれ、首都ネピドーに次ぐ最も重要な町となっている。 日本人にとっても忘れてはならない町でもある。大東亜戦争当時、最も悲惨な戦いを強いられたインパール作戦(参加兵力85,600名、内3万人の戦死者行方不明者)の司令本部が置かれていたところである。その頃の名残があちこちに残っている。
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旅行の準備 ヤンゴンの旅行社 「Bravo Travel」 http://www.myanmarbravo.com/greetings-travel.html を利用 Bravoのチョウさんは日本語が堪能、メール、Skypeで相談して約1年前より計画を立てる。 この旅行社には旅行中も本当にお世話になった。ミャンマーは地方に行くとホテル以外は全く英語が通じない。トラブルに巻きこまれた時のための、ホットラインを持ち、24時間日本語で対応してくれる。何度か利用したが的確な対応で安心して旅行ができた。私たちの旅行日程を知っているので、終始見守ってくれていた。 (旅行社への支払いは全てアメリカ㌦) |
行き届いたサービスを提供するBravoのチョーさん ヤンゴンのホテルにて |
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ビザの取得 大阪のミャンマービザセンターにて。一人4500円 (観光ビザの滞在日数は28日。各ホテルでは必ずパスポートのビザを確認していた) |
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旅のメモ 為替レート 1米$ 970(K)チャット 100円約1000(K)チャット、ヤンゴン国際空港にて両替。1000、5000チャットが主なので800ドルでご覧のとおりの札束で、なんだか金持ちになった気分になった。
国民の85%が上座部仏教徒であるためか出会った人はみんな親切で、笑顔で私たちを受けいれてくれた。素朴で誠意あふれる人たちであった。 携帯電話 シムカードは外国人には保証金が1日10ドル必要との事で利用を断念した。旅行社の女性にシムカードを借りて緊急用に利用した。ただそれも、ピンウーリンのような高地ではつながりにくかった。持参のソフトバンクは電話は可能(1分間日本へ500円 ミャンマー国内200円)であるがメールは使えない。 国内航空 行きはヤンゴン~マンダレーをヤンゴンエアー。帰りはパガン~ヤンゴン をパガンエアーを利 用した。小型のプロペラ機 荷物は20KGまで 時間は正確であった。数社が同時刻に発着しているが、乗客数やトラブルなどで、航空会社が変更になる場合があるので、事前に確認が必要である。今回は変更されたときは旅行社から連絡が入るようになっていた。 気候 大きく分けて雨季(5月下旬~10月中旬)、乾季(10月下旬~2月)、暑季(3月~5月中旬)に分 けられ、乾季がベストシーズンでホテルは込み合うそうである。 ヤンゴン 今回の7月は雨季の時期に当たり、雨が一日中降ったり、あるいは一日に周期的に何度も 降ることが多いので傘を持ち歩くことは必須。 ピンウーリン 今回の時期は気温は平均24度位で非常に過ごしやすい。雨季ではあるがここは雨はほとんど降らなかった。 マンダレー この時期は雨が多く蒸し暑いと聞いていたが、当日はそれほど暑くはなく過ごしやすかった。 バガン ここは雨の少ない地域で、今回も青空が広がる好天続きで、とても暑い二日間であった。乾燥した広大な土地が広がっている。町を水量豊かな大河エーヤワデイ(イラワジ川)が流れている。 物価 日常の買い物はマーケットを利用するが、日本の10分の1、驚くべき安い。特に雨季のこの時期の果物は安くおいしい。例、中位パパイア2個50円 マンゴー5個50円(種類によるが) 治安 仏教国でもあるため治安は大変良い。少数民族とのトラブルとかイスラム教徒と仏教徒のトラブルとか報道もあるが、私たちが生活した地域は平和そのもの、人々も穏やかである。 交通機関 鉄道は国が経営する国鉄があるがマンダレー・ピンウーリン間約70KMを4時間半かけて走り、1日に1往復のみ。乗り心地もひどいとの事で断念して、私たちはタクシーを利用。このタクシー、日本の中古車でこんな車が走るの?と驚くくらいぼろぼろのTOYOTA車。この区間は旅慣れた人はバスを利用している。このバスも多くが日本車で「JRバス」「中川観光バス」など日本時代の社名が入ったまま走っている。ピンウーリンのタクシーはみんな古かったが、マンダレー、パガンでは新車に近く、やはりTOYOTA車であった。ピンウーリンの日常の足は馬車(horse car) とトクトク(オート三輪車)バイクタクシーを利用。 ホテル事情 今回私たちが利用したホテルは中級であるがエアコンやシャワー設備の面においては問題が多い。日本製はほとんど見当たらない。電気製品の性能に大きな問題あり。ただ、ホテルで働く人々はみんな親切で、満面の笑顔で接してくれる。 ホテルを予約するときは旅行社を通じたほうが安くて何かと便利。今回ピンウーリンのホテルで直接予約するといくらかと尋ねてみると、「70ドルだけど私たちはすでにお得意だから60ドルでよい」といわれた。しかし、旅行社を通じると53ドルであった。 通信事情 ピンウーリンのホテルは無料WIFIが用意されているが、つながる時間は少ない。パガン、ヤンゴンでは比較的スムースにつながった。いずれも無料WIFIが用意されている。 日常会話 町では英語はまったくと言っていいほど通じない。ホテルのフロントは英語が堪能なのでいろいろな情報や、足の予約などはホテルで頼むと間違いがない。ピンウーリンで乗ったタクシーは英語は全く駄目。マンダレー、パガンのタクシーは英語が堪能。町の人々との会話は「ミャンマー語指差し会話帳」を利用。 外国人料金 ヤンゴン寺院拝観料(3ドル~5ドル)、観光地マンダレー入域料(10ドル)、パガン入域料(15ドル)等は外国人のみ支払う。ゴルフ場(10ドル)キャデイ費(10ドル)などは現地人の約2倍 食事・飲み物 ミャンマーの料理は、私たちの口に合う味付けでおいしいのだが、料理に油が多く使われているので、1週間を過ぎる頃から、現地の料理を体が受けなくなり、持参した旅行用クッキングヒーターでおかゆを炊いてしのいだ。ドイツの国際的なコンテストで何度も入賞しているという「ミャンマービール」はとてもおいしい。町のレストランでのむ生ビールは中ジョッキで50円くらい。それが結構おいしい。ビール好きにはうれしい国です。 |
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「ミャンマービール」おいしいですよ。1缶約80円 |
滞在記 6月24日 午後11:15PM関空発 LCC Air AsiaにてマレーシアKLへ 翌朝5:00AM KL着 これよりミャンマー ヤンゴンへ向かうわけであるがこれからが苦労した。チケット購入時ヤンゴンまでスルーで買っておけば、問題は少なかったが、別々に買っていたため、一度KLで荷物を受け取り、再チェックインしなければならない。そのための時間を要し、その日のヤンゴン行きに乗ることが難しいと判断して、翌日の便に変更した。しかし、予定より早く着いたため、充分間にに合う時間であったので、その日の便の乗ろうと努力してみたが、変更ができず、翌朝まで待つことになった。 |
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6月25日 TUNE HOTEL宿泊 TUNE HOTELについて LCCターミナルから徒歩約15分 TUNE Hotelの循環バス約30分毎 一人2RM チェック インは2時pm それ以前(10:00am~2:00pm)にチェックインすると60RM必要 24時間エアコン+ タオルセット 22RM Wi Fi 24時間 12RM Room Fee 157.9RM アーリーチェックインすると計約7,600円 LCCのホテルとしては決して安くない。部屋も予想通り異常に狭い。 |
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ダブルベッドが一つその周りに空間が20cm~40cm。 バッグを広げる空間はベッドの上。 |
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6月26日 ミャンマー・ヤンゴンへ |
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Air Asia KL発 6:55AM 8:00ヤンゴン着 Bravo Travel社のガイド MOさんの出迎えを受けて、空港で両替 空港のすぐ近くSeason of Yangon Hotel へ。 旅行社への支払いを済ませて、MOさんのガイドでヤンゴン市内観光へ出かける。 |
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ヤンゴン観光 |
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シュエダゴオン・パヤー ヤンゴンを見守るミャンマー最高の聖地 シュエダゴオン・パヤー |
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自分の誕生曜日の守護神のお祈りをささげます 右端がBravo社のガイドMOさん |
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マハーガンダの釣鐘 イギリスがこの鐘をもち出そうとしたが、船が沈み、その後ミャンマーの人々が 引き上げて無事元の場所に納めた。 |
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ヤンゴンの中心 |
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英領時代の建物、現在は最高裁判所 |
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独立記念塔 |
英領時代の建物、現在は市庁舎 |
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スーレー・パヤー (を中心にヤンゴンの町が設計されている) |
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仏陀の遺髪が納められている 境内はお参りの人でいっぱい |
誕生曜日の守護神にお祈りします |
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巨大な寝仏で名高い チャウッターヂー・パヤーへ |
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チャウッターヂー・パヤー 高さ17m全長70mの巨大な寝仏 |
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ボージョーアウンサン・マーケットへ ヤンゴンで最大の市場。ミャンマーのスカートであるロンジン用の布類を買うと、縫い子さんがたくさん並んでいる店で縫ってもらう。 ミャンマーは宝石の産地らしく、宝石店も軒を連ねている。 |
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昼食はミャンマー料理店へ |
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昼食はミャンマー料理店へ ポークカレー、チキンカレー、マトンカレー 各野菜料理 |
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日本人墓地参拝 第2次大戦(大東亜戦争)の日本軍兵士戦没者の墓 ビルマ方面作戦に参加した303,501名の日本軍将兵のうち、6割以上にあたる185,149名が戦没し、帰還者は118,352名のみであった。まだ遺骨が収集されていない戦死者は87,000人 |
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日本政府建立の慰霊碑 |
広い霊園にはたくさんの戦死者のお墓が並んでいる。 |
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地元の人が花を供え、墓地を管理してくれている。参拝者を線香を用意して迎えてくれる。 |
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ミャンマー(ビルマ)は大東亜戦争当時最重要拠点で、日本軍は英・米・中国と戦い、19万人の戦死者を出した。当時のビルマ人は日本を応援し、援助してくれた、と碑文に感謝の言葉が述べられている。 |
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ホテル 空港のすぐ近く Seasons Of Yangon にて宿泊 |
6月27日 国内便ヤンゴンエアー11:15発にてマンダレーへ向かう シャン州のラショー経由 2:00pmマンダレー着 丁度昼時だったためか軽食と飲み物が振舞われる。最近LCCばかり利用している我々は久しぶりの機内サービスに感動した。 |
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ヤンゴン航空 |
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空から見るミャンマーの北部シャン州はのどかな風景でした |
なかなかおいしい軽食でした |
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マンダレー空港からピンウーリンへ タクシー55,000チャット 約5,500円 (空港から直接ピンウーリンに向かうと割高。一度市内のバスステーションまで行って、タクシーを乗り換えるともっと安い) タクシーはトヨタのおそろしく古い車、でも飛ぶように走る。2時間半で標高1,100Mのピンウーリンへ到着 宿 Loyal Park View Hotel |
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7種類の中から選びます。いずれも口に合っておいしいです。 | |||||||||||||||
6月28日(金) 町の散策 (シャンマーケットと町の中心の時計台) |
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広大な生鮮食料品のシャンマーケット |
町のランドマークの時計塔 Purcell Tower |
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よく利用した馬車 |
レストラン WOODLAND で夕食 |
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6月29日(土)国立ガンドージ植物園へ |
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ホテルから歩いて約3KM。散歩がてら出かける。広大な植物園で美しい花々で整備されている。あまりに広いので歩きつかれて帰りは馬車を利用。 | |||||||||||||||
公園入り口 |
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展望台の上からピンウーリンの町の全景が望める。 |
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6月30日(日) ドライビングレンジへ ピンウーリンゴルフクラブの隣のドライビングレンジで次の日のためにゴルフの打ちっぱなしで練習。100球約200円 |
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7月1日(月) Pyin Oo Lwin Golf Clubへ |
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ピン ウー リン ゴルフクラブ グリーンフイ 10ドル キャデイフィ 10ドル(10,000チャット) 手引きカート代(1,000チャット) 日本円で一人約2,100円 これは全て外国人料金 現地の人は半分以下 二人でプレーが出来るのはweek day の午前中のみ 気温は28度、すっきり晴れてコンデイション良好。 ところにより習慣もかわります。キャデイさんの動きも独特です。Tグランドはプレイヤーのみ。キャデイはボールの落下地点付近で待機。サービス精神旺盛で、全てのボールを打ちやすいところに運んで、草を盛ってTアップしてくれます。バンカー越えの場合もいつの間にか花道にボールが移動しています。(私が初心者だからかも知れません)月曜日で他のプレイヤーがいなかったためか、3時間半で終了。楽しかったけれど疲れました。それにしても1,100mの高原で気圧が低いためか、土地が固いためか、驚くほど飛距離が伸びます。びっくり!! |
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7月4日 2回目 キャデイさんと |
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7月16日 3回目のキャデイさんと |
7月17日 4回目 後ろに見える塔はピンウーリンのランドマークガンドージ植物園の展望塔 |
7月2日(火) ピンウーリン最大の市場(ミョウママーケット)へ |
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大きな市場の入り口 |
布類を売っている店が多い(綿の産地) |
今は雨季、果物が安くてとてもおいしい |
パイナップル2つで50円マンゴー5つで50円驚くべき安さ |
日本陸軍墓地参拝 ピンウーリン郊外の畑の中に立つ陸軍墓地 ここピンウーリン(旧名メイミョー)にはインパール作戦(戦死・行方不明2万1千人、戦病死8400人、戦傷者3万人)の司令部があった。ここには陸軍病院があったため、多くの戦傷者が運ばれてきてここでなくなった。多くの従軍看護婦さんもここに祀られているそうだ。。 |
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この単車の人が場所をよく知っています。 名前はShivaさん 電話 09 43060752 墓の場所は「Thinebo-2]だそうです。 |
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ここで亡くなった日本陸軍の兵士と従軍看護婦さんの墓 にお参りしたいと思い、ガイドブック「地球の歩き方」に書いてあった、ピンウーリン駅の北の畑の中あたりを探し回ったが見つからない。あるところで尋ねたところ、20人ばかりが集まってきてお互い尋ねてくれた。結局通りかかった単車の二人に頼んでくれて、バイクタクシーとなり、約5KMほど離れた畑の中にある墓に案内してくれた。写真は連れて行ってくれた男性二人。分かりにくいところをよく連れて行ってくれたと感謝の気持ちでいっぱいでした。タクシー代3000チャット×2人分 プラスお礼のチップ このお墓参りにいくためにはまず、ホテルのフロントで情報を得ましょう。「地球の歩き方」の駅の北という情報だけでは絶対たどり着けません。 |
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宿泊しているホテルRoyal Park View Hotelのレストランの壁に掲示されている写真 インパール作戦の,あの第15軍司令官牟田口廉也(中央)と 前列左から柳田33師団長、松山 牟田口 田中 佐藤31師団長などと 写真の下の説明書きに記されている。 ホテルのマネージャーに何故この写真が飾ってあるのかと聞いたところ、宿泊する日本人のため、という答えが返ってきた。私たちはこの写真には感じるところ大いにあり。ヨーロッパ人も「何故イギリスではなくこの日本人の写真?」と聞くそうです。世界広しと言えど日本以外で日本軍人の写真をレストランに飾る国が有るでしょうか。(日本人がこの写真を見て、喜ぶというより、とても複雑な気持ちになるのでは?)大東亜戦争当時ビルマで戦った日本兵士の話では、当時のビルマ人は敗走する日本の兵士を助けたり、戦争が終わって収容所の兵士に食料を差し入れたりしてくれたりして、とても親切だったそうです。 インパール作戦の司令本部 現在は政府の機関が入っている |
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司令本部はこの建物だという人もいる。 現在は国立Survey School (どちらが正しいか確認できませんでした) |
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ピンウーリンの鉄道駅へ 標高約1100Mの高地の駅。1日1往復のみ列車が走ります。 |
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ピンウーリンは標高約1100m どんな鉄道駅なのだろう? 駅を見に行ってついでに2時間ほど 列車が到着するのを待った。 |
3506FT Above SeaLevelと表示 標高約1100m |
時刻表1日に1往復のみ |
多くの人が駅を横切っています。 学校帰りの元気な小学生 |
鉄道を行く牛飼いの一行 |
一番後ろで牛を追っているのはかわいい少年 |
村の人々駅の構内を通って線路を横切って通行 |
マンダレー行きの列車が到着 |
アッパークラスの座席 |
普通クラスの座席 |
列車を待っている間一緒におやつを食べたり指差し会話帳でおしゃべりを楽しむ。 写真はピンウーリンへ野菜の買い付けに来ていた人、野菜をもらったので代金を渡そうとしたが受けとてもらえなかった。夕食に野菜を炊いて食べたがとてもおいしかった。 |
7月4日(木) ピンウーリンゴルフクラブへ 2回目 |
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ゴルフクラブの入り口 |
今日のキャデイさんと |
7月5日(金) ピンウーリン近郊観光 マハマンツカンダ寺院 岡の上の新しい美しい寺院。観光を兼ねて多くの信者が花をもってお参りしていた。広い敷地は花壇としてきれいに整備されている。 |
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まだ上部は出来上がっていない |
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広い庭園はよく整備されている |
広い庭園の一角のコブラに守られた仏像 |
洞窟寺院 ベイチンミヤアウン 奥行き600mもある大鍾乳洞の中に、国内の有名寺院を模した仏塔やたくさんの仏像が納められている。洞内には清らかな水が大量に流れている。多くの信者や観光客で賑わっている。 |
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洞窟寺院の入り口 |
洞内から流れ出た清流で大人も子供も 水遊びを楽しんでいる |
信者が熱心なお参り |
洞内に大きなパゴダあり。 |
ポエカウ滝へ |
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滝を背景に記念撮影 |
この日、学生さんらしき人たちが多かった。ミャンマーワインおいしいよと勧められる |
この滝の駐車場の土産物売り場で買ったスモモの塩漬け 60個ほどで100円でした。ドライバーさんと分けました。 |
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モージョーピッ村(シャン族の村)へ 少数民族の中で最も多いシャン族の生活が見られるというので出かけたが、ドライバーに意図が伝わらず、ただ村の中央の通りを車で走っただけで、全く目的が果たせなかった。途中ミャンマー軍の陸軍大駐屯地の横を通って帰った。5時ころまで村の生活を体験しようとしたが、1時過ぎにホテルに帰ってきた。 |
7月6・7日(土・日)ドライビングレンジで打ちっぱなし 土日は2人ではコースに出られません。コースのすぐ隣にあるドライビングレンジで打ちっぱなしの練習です。100球2,000K(200円) |
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ピンウーリンドライビングレンジ 係りの女性と |
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スイングチェック どこが悪いんだろう。どうもうまくいかないなあ!!! |
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コースでは”びっくりするほど飛ぶ”こともあるんですが・・・・・ |
7月12日 散策 「HIROMI INN」 住所 No.78 ,Aing Daw Road , Block 6 Pyin Oo Lwin Myanmar 電話 085-22685 09-2045224 日本語OK |
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偶然道路の街路樹にかかるこの看板を見つけ、日本人の経営かな、と思って訪ねてみました。オーナーはミャンマー人の女性と日本人の建築士の夫ですが、日本に12年間住んで、日本の文化を学び、その長所を生かした、ホテル経営をされている。現在8室ある客室は、今年(2013年)6月オープンで営業が始まったばかり。70㎡余ある部屋はキッチンもあり、浴室はバスタブ付き、日本の衛星放送も見られ、WiHi
無料といたれりつくせり。料金はツインで1泊朝食付きで30ドルとリーズナブルに抑えられている。 オーナーのHIROMIさん一家と オーナーのご主人はピンウーリンでただ一人在住の日本人 ピンウーリンやミャンマーについてたくさんの情報をいただきました。 |
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日本で12年間学んだ日本の細やかな 心配り、行き届いたサービスが 提供されている。 |
明るくて広いリビング、寝室、 |
キッチン 料理に必要な食器類は全て 貸してもらえるそうだ |
バスタブ付き 広々とした浴室 |
イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建物 |
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1904年建設「カンダクライク」 現在はホテル |
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コロニアルスタイルの建物 現在はテイリ・ミャイン・ホテル |
日本人がこのホテルに宿泊するにはこの設備はちょっとつらい |
同じくコロニアル建築のホテル ナン・ミャイン・ホテル 1903年建築 今までは政府が管理していたそうだが、私たちが泊まるにはつらいものがある。税込み朝食付き30ドル。オーナーが変わるそうなので今後期待できるかも。 |
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ピンウーリンの中国寺院 私たちの目には華やかに何でもありの寺院に見えるけど実際は???? |
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西遊記の登場人物の像 |
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中国の仏さま神様が勢揃い? このようにいろいろな像が祀られている寺院は初めて。 |
7月13日 桑のプランテーション ピンウーリンに2箇所桑のプランテーションがある。まだ桑の木は小さいので始まったところなのだろう。政府のコントロールのもと、韓国人が指導で運営されているそうだ。聞くところによると、化粧品にするため蚕を飼って、釜山に運び、その化粧品を日本人が買いにいくという、本当だろうか。 |
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国立ガンドージ植物園に行く途中の桑のプランテーションの入り口 |
見渡す限り、桑が植えられているがまだ木は小さい、 |
2段階の蚕? |
4段階の蚕? |
養蚕所を見せてもらった。世話をしている女性が左の箱を「2」右を「4」といったけど、どういう意味か不明 | |
本日の足は馬車です。御者台に乗ってみました。 馬車って夢はあるけど実際には乗り心地はそんなに良くないですね。 |
7月14日 アニサガンの滝へ ここ1週間ほどミャンマー料理が食べられなくて、おかゆの毎日で体力不足の中、念願のこの滝にいった。滝への下り口までは約8KM、トクトク(3輪オートバイに荷台を付けた乗り物)で向かう。トクトクの行ける終点からは、下り20分、登り30分とガイドブックに書いてあるけれど、1週間おかゆだけの身にはそうとうきつい。頼まないけど勝手についてきたガイド風の女性二人、今日はこの人たちが頼りだ。杖を貸してくれて、前から手を引き、後ろから押してもらって、美しい滝まで無事往復できた。 |
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苦労していく値打ち大いにあり。 滝の流線がとても美しい。 |
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かねてより乗ってみたかったトクトクをチャーター。 荷台の乗り心地は良いとはいえない。座席は板張り、 道が良くないから、でこぼこ道はお尻を上げておきます。 |
頼んでいないけど つきっきりで 世話をしてくれた イッシンさんと |
ここ一週間食欲不振の 体調不良で苦しむ私を 後ろから押し、 前からひっぱてくれる |
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休憩すると足や背中の マッサージ、 とても気持ちいい |
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二人のおかげで無事美しい滝を満喫できた。 夫に「ここ何日かビールを我慢するから、二人にお礼をはりこんで」 と頼んだ。私もありがたく、二人もとても喜んでくれた。 |
7月18日 マンダレーへ 8時半 ホテルのオーナー夫妻 スタッフの皆さんに見送られて、専用タクシーでマンダレーに向かう。約1時間15分で旧王宮前のスワンホテルに到着。マンダレーはミャンマーのほぼ中央に位置する古都で、1857年にミンドン王によって建設され、1885年にイギリスによって占領されるまでミャンマー最後の首都として栄えた。 休憩の後タクシーでマンダレーの観光に向かう。タクシーのドライバーは「地球の歩き方」のマンダレーを覗いて、ガイドブックにある寺院や、伝統工芸の工房にすべて連れて行ってくれる大サービス。マンダレー入域料は旧王宮の入り口で支払う一人10,000チャット約1,000円 |
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国内各地にあるマハムニ仏のモデルがある マハムニ・パヤー |
木彫りの装飾が残されている木造の 僧院であるシュエインビン僧院 |
ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮である旧王宮 |
マンダレーへの遷都を決定したミンドン王 |
ミンドン王時代の貴重な木造建造物であるシュエナドー僧院 |
ミャンマー最後の王テイーボー夫妻の前で この王はこの地を占領したイギリスによってインドに追放された |
世界最大の経典のあるグドウドウ・パヤー |
730の小仏塔の中に経典が刻まれた石版がある |
仮の王宮として使われたサンダムニ・パヤー |
ここにも白い仏塔が並ぶ様子は幻想的である |
チャウットージー・パヤーの大理石の石仏 |
丘全体が仏教の聖地であるマンダレーヒルの参道口にある2頭のライオン像。歩く人はここから裸足で登る |
マンダレー・ヒルの頂上から見るエーヤワデイ川 |
マンダレーヒルのサンダーキム(鬼の像) |
日本だけでなく敵方の戦没者も慰霊する 日本人慰霊碑 |
「ミャンマーで戦没された日本、ミャンマー、英国、全ての人々の怨親平等に安らかに永遠の眠りにつかれることを祈ります」と側面に記されている |
7月19日 バガンへ(世界3大仏教遺跡の一つ) 9世紀ビルマ族による最初の王朝が開かれた土地。11世紀ビルマの統一王朝となる。この頃に建造された寺院群 マンダレー発 8:30AMのバスでパガンに向かう。タクシーのドライバーがバスターミナルの私たちが乗る、バス会社まで案内してくれたのでスムースにバスに乗れたが、ミャンマー語標記しかない大バスターミナル、ドライバーの助けがなければ探すことは困難だった。途中30分ほど昼食休憩して、パガンの大分手前ニュンウーの終点に1時半頃到着(ガイドブックより2時間早く到着) 途中、外国人だけバスから降りて入域料一人15ドル支払う。ニューパガンのホテルまでタクシーに乗る。 ホテルで昼食、休憩の後、タクシーをチャーターして観光に出かける。ここのタクシードライバーもとても親切。パガンの数千とも言われる寺院が点在する中の有名寺院に案内してもらう。寺院の域内は聖域なので、常にタクシーの中で裸足になって寺院に参拝。裸足は暑くてじっとしていられない。ここは遺跡ではなく、寺院なので多くのミャンマー人が礼拝している。 |
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シュエ・マン・トウ社の長距離バス |
エーヤワデイー川と並んで走る |
途中の休憩場所で食事 |
パガン クムダラホテルに到着 |
囚われの王が建てたマヌーハ寺院 |
重厚で美しいスタイルのダマヤンジー寺院 |
フレスコ画が最も良く多く残るスラマニ寺院 |
スラマニ寺院の古いフレスコ画の壁画 |
シユエサンドーパヤーの最上階から見るパガンの寺院群は幻想的である |
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仏陀の遺髪が納められているシユエサンドーパヤー |
パガンのサンセットを見るために シユエサンドーバヤーの最上階に登った |
20日 午前中はホテルで休養 ホテルで昼食をとった後、12時より昨日と同じタクシーにて 有名寺院を観光 この日も多くのミャンマー人が参拝している。 午後5時40分発のバガン航空でヤンゴンへ向かった。 |
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クムダラホテルのレストランから点在 している寺院が見える |
バガンで最も高いタビニュ寺院 |
ブーパヤーパヤーから見るエーヤワデイ川 |
ブーパヤーパヤー |
パガン王宮発掘現場 |
バガンの守護身ナツが祀られているタラバー門 |
バガンで最も美しいアーナンダ寺院 |
アーナンダ寺院の仏像 |
後方ダビュニ寺院の隣にある 「日本人戦没者慰霊碑」 |
パガン慰霊堂建立之碑 「第二次世界大戦において夫々の祖国のために戦い、一身をささげた将兵、ならびに戦火のため不慮の死をとげられた多くの人々の霊を慰め、併せて、全世界の永遠の平和を願ってこの慰霊碑を建立する」と記されている |
バガンのイメージの象徴的なテイーローミンロー寺院 |
バガンを代表する黄金の仏塔シューデイゴンパヤー |
7月21日 ホテル シーズン オブ ヤンゴンからホテルの車でヤンゴン空港に向かい、Air Asia8時30分発でヤンゴンから次の滞在地マレーシアに向かった。 いろいろな面からミャンマーの生活は全て快適であったとは言い切れないけれど、親切なミャンマー人、笑顔のすばらしいミャンマー人とこのまま別れるのはしのびがたく、また是非訪れたいとの思いでミャンマーを後にした。 この後は引きつづき、マレーシアの高原フレーザーズ・ヒルで1ヶ月余り滞在します。 |
費用概算 (27日間 2人分) ①航空機 (関空ーKL-ヤンゴン往復95,800円) (国内便 ヤンゴン→マンダレー 119㌦×2 ) パガン→ヤンゴン 114㌦×2 |
142.400 |
②タクシー・馬車・ バス マンダレー→パガン(25㌦×2) |
29.800 |
③ホテル(25泊) ピンウーリンのホテル朝食付53㌦×21日 他 |
135.300 |
④観光 ヤンゴン寺院拝観料、 マンダレー入域料(10㌦) パガン入域料(15㌦) ヤンゴンガイド料(40㌦) |
11.000 |
⑤ゴルフ (ゴルフ場20,500円(5回)) (練習場 4,000円) |
24.500 |
⑥昼食夕食 | 25.000 |
⑦その他 (チップ他) | 20.000 |
合計 | 388.400円 |