車いすと杖で 台湾 高雄へ
平成30年3月10日~18日

 毎年冬は日本の厳寒を避けて暖かい国で1,2か月避寒のステイに出かける。今回はたくさん知人が待ってくれている台湾高雄に出かける予定を立てていた。しかし、12月初旬の妻の思わぬ大腿骨頸部骨折という大怪我で出発があやぶまれた。 しかし親切の限りを尽くしてくれる数名の知人、、私たちの訪問を待ってくれているこの高雄の知人と約束しているので行かねばならないと思い主治医に相談すると「大丈夫」と言ってもらい、結局予定を2週間遅らせて杖をたよりながら出発した。

 自宅から歩いて3分、近くの駅から関空第二ターミナル行きのリムジンバスに乗って、3時間足らずの飛行で高雄空港に到着、張さんに迎えてもらって、宿泊のホテルへ。なんと家から歩行数は3000歩余。滞在中はホテルの前にあるバス停、地下鉄の駅を利用した。歩行に心配を抱えて杖をついての旅ではあったが、そう負担にならずに生活ができた。乗り物ではすぐさま席を譲ってくれる台湾人に助けられたことがこの不自由な体にとって一層ありがたく感じた滞在であった。

 張さんの親切
 彼は現役時代台湾に進出していた日本企業に勤めていた関係で流暢な日本語を話される。
                 
                  帰国時高雄空港まで昼食を用意して送ってくださった。
               
 今回で高雄には3回目の訪問となるが、毎回張さんはとことん私たちの面倒を見てくださる。いつもやってもらいすぎと固辞するのであるが、「台湾に来たら台湾の風習に従いなさい」といって私たちへの歓待の手を緩めることはない。
私たちの感覚からすると、絶対やってもらいすぎと心苦しいのであるが・・・・

 張さんから、日本から持って来てほしいと頼まれていたものがあることもあって高雄空港まで迎えに来てくださるという。
その車にはとても1週間余では食べきれぬ、果物、野菜他食料品を山ほど積んであり部屋にもってきてもらう。

 帰りの飛行機も絶対送ると言われて、お断りしても譲られない。。
聞いてみると、前の日に飛行場までいって昼食を取る場所を下見されたとのこと。
当日はわたしたちに食べさせたいと、朝早くから屏東まで電車で行っておいしいと評判の冷麺「四川任家涼麺」を用意し、サトウキビのジュース、バナナ、パイナップルなどの果物、すしなど山ほどの食料を用意して予定していた場所で勧めてくださる。そして持って帰るようにとピータンの卵、サバのケチャップ浸けの缶詰などをいただく(この缶詰は200CC以上だったのでセキュリテイ検査で取り上げられた)。下見に来た前日、空港職員に機内に持ち込めて、機内で食べることができるということ確かめたから、残ったものは機内で食べなさい、という。私たちは格安航空のPEACHだから、持ち込みの食料を食べることは遠慮したいと思っているのだが、私たちのチェックイン時にも付き添って窓口職員でもう一度確かめてOKだから持って帰れと言われた。どうしてここまで私たちのためにやってくださるのか、・・・・・・

初日にいただいた果物他

昼食に、と寿司他
 頂いたものバナナ、パイナップル 豆仔薯(短冊切りで卵と炒める)仙桃(瓜の食べ方)蕃薯(サツマイモ)茂谷柑(ポンカン)、みかん 麦茶、決明茶、砂糖、塩、とても1週間余では食べきれない量。

高雄の北、岡山の羊料理が有名とわざわざ車で。

羊料理の老舗レストランへ
       
      サトウキビのジュース
  ここしかない、と言ってわざわざお連れ頂く
 
この日中都湿地公園、
日本統治時代の石油製油会社跡、台湾製糖会社
海軍の軍港周辺などを案内してもらう。
この周辺には日本時代の建物もたくさん残っている。
 
 張さんからもらった情報
 ⁂ 台鉄の自強号、区間車、莒光号、復興号全て70kmまでは料金は同じ。悠遊卡 一通卡使用可
 ⁂ 台南でこの時期開催されて「台湾国際蘭展」について詳しく紹介してもらった。是非行きたいところではあるが、体調に自信がなく、次回に持ち越すことにした。
 ⁂ 8月31日より台鉄の左営駅から高雄駅まで地下鉄となり、鉄道後は公園になるとか 。
 ⁂ 他諸々、到着した日に高雄の詳しい情報を夜遅くまでもらう。


呉さん日本統治時代 大正生まれ 92歳
 19歳まで日本統治時代を過ごし、日本をとても大切にされている。常に日本のBS放送を見ておられ大変な日本通。日本語の語彙は日本人以上に豊かである。私たちの訪台をとても楽しみにいてくださっている。今回はお宅を2回訪問した。今回は呉さんもこちらも病み上がりで体力的にゆっくり話を伺うことが出来なくて少し残念だった
 食事はいつもの近くのレストランでとろうということで訪問したが、どうしても自宅で台湾の食事を用意するとのことで、息子さんが昼食の用意をしてくださった。台湾では男性も料理は得意とのことでとてもおいしい台湾の家庭料理をいただいた。いつも自分で歴史や音楽のDVD製作されていてお土産にいただく。

呉さん夫妻と

息子さんの手作り料理をいただく

謝さん滞在先のホテルのオーナー
 ある日の夕食、旗津半島にある海鮮料理店へオーナーの家族と共に案内していただく。

旗津半島へフェリーで渡る

海鮮料理店へ

新鮮な魚介類 
 
  

国立故宮博物院南院区 嘉義市 (高鉄嘉義駅近く)    
       
2015年12月28日オープン
  今回のメインの観光。70haもある広い敷地で歩行は困難と思われ受付で車いすを借りる。
常設展示は「嘉義発展史」「アジア仏教芸術」「アジア茶文化」「アジア織物」の4つである。建物は北京や台北の故宮博物館と違い斬新なデザインである。

円形広場から至美橋 博物館 至善湖

インフォメーション前の水辺広場からの至美橋 博物館


                      3階至宝展
                   
 
3階 茶文化展  日本の茶道具 茶室 茶の歴史なども詳しく展示されている
   
 
3階 東アジア美玉展 ムガール帝国の至宝がたくさん展示されている 

3階陶磁展 日本伊万里磁器特別展   大阪市立東洋陶磁美術館のコレクションがたくさん展示されている
 
国立故宮博物院所蔵
 
大阪市立東洋陶磁美術館所蔵
   


2階織物文化展 
   
  
2階仏教芸術展
 
             2階嘉義発展史展

至宝の仏像が多数展示されている。 
 
映画KANOの野球チームのメンバー


広大な庭園 
 
草間弥生 「かぼちゃの精霊」
 
円形広場からの景色


台湾で大変慕われている日本人の中の一人
森川清治郎巡査[義愛公」を祀る富安宮へ  嘉義市郊外

台湾高鉄新幹線で嘉義へ
嘉義駅よりタクシーで郊外の富安宮へ
 ガイドブック「地球の歩き方」のコラムに紹介されていた「台湾で慕われている日本人」を読んでかねてよりここを訪ねたいと願っていた。3年越しにやっと実現した。以下地球の歩き方」のコラムより
  「明治末年頃台湾に赴任した警官は、徴税の促進にもあたった。森川清治郎は、巡査として赴任した村で私費で本を買い、子供たちに読み書きを教えるなど、村人の生活に配慮するような人だった。歳入の欠如に悩んだ台湾総督府は、新たに漁業税を設け徴収にあたらせたが、森川巡査は当地が大変貧しく督税は不可能であるとたびたび役所に報告していた。それにもかかわらず重ねて徴収を命令された彼は、徴税が不可能なことを上申したが聞き入れられず、かえって住民を先導したした𠮟責された。森川巡査はこの叱責に抗議し、また村の窮状を訴え自決を遂げた。
 このことを知った村人は彼を祀ったが、のちに村に病気が蔓延した際に、警官姿の霊がが村人の枕元に立ち、手を洗い清潔な水を飲むように教えてくれた。その後もこの霊は数人の枕元に現れ、そのお告げを守った村には病死するものがいなくなった。村人は森川巡査をおおいに敬い、立派な廟を建て参拝するようになった。」
    
                 
24ページにわたるA4判の日本語と中国語のパンフレット
が用意されている。          
 
1ページには森川巡査の写真


 
森川巡査が村民のために尽くしたエピソードが詳しく記されている
   
                          
森川巡査を義愛公として祀る「富安宮」
 
美しい富安宮

壁には森川巡査の写真や行いを表した絵
 
正面に義愛公(森川巡査)の像
 
          
       富安宮の部屋の壁には森川巡査の住民への親切な行いが絵にして展示してある  
                 
               外の広場にも森川巡査の行いが絵で展示してある。

買い物 夜市

瑞豊夜市
高雄の夜市の名物料理を食べようと
出かけたが、着いたとたんに激しい夕立
に会って、十分味わえないまま帰宅。

オーアーチェン(牡蠣の卵焼き

臭豆腐

自強夜市で夕食

夢時代購物中心(アジア最大のショッピイングセンター)

カルフール
 今回は歩けないためデパートやショッピングセンターをうろうろした。
バスなどの公共交通が発達しているため、とても便利。
            
                ホテルの前のデパート「大遠百」
             17階の「誠品書店」でDVD、CD、本を買う
 
夢時代から高雄展覧館までLRT(次世代型路面電車)で

開放的な車内 悠遊卡 一卡通などの使用可 
 
 帰国
  18日張さんの車で空港へ。空港で、張さんが用意してくれていた食事を、下見してくれていた場所でいただく。午後2時過ぎの出発予定が機材が都合つかないとのことで、出発が5時に変更。張さんが最後まで付き合ってくださり最後までいろいろ話を聞いた。夜中の11時過ぎに無事帰宅。
 今回の高雄滞在は期間も短く、退院してすぐで体調も整っていなかった関係で、存分に滞在を楽しむことができなかったが、とにかく無事帰国出来て何よりだった。


高雄へ出発するまで
 昨年12月6日自転車で転倒して大腿骨頸部骨折をして緊急入院。
2,3か月で退院できる予定。したがって予定している2月26日からの台湾高雄旅行は多分可能であると主治医から言われる。
 ここで入院時の記録を少し残しておきたい。
 平成29年12月6日 シニアカレッジの同好会出席のため自転車で登校途中、車道から歩道へ入る段差で乗り切れず段差にはねられて激しく転倒。太ももあたりに激しい痛みがあるも、そのうち治るだろうと思って、引き続き自転車に乗って約1kmで学校へ。しかし校門を入るとあまりの痛さに全く歩くことができない。自宅に電話して夫に迎えに来てもらい、近くの整形外科医へ。しかし水曜日で定休日、やはり入院できる病院が良いのではとの判断で近くのN病院へ。
 診察の結果、大腿部頸部骨折で2、3か月入院が必要。手術が終わるまで患部を絶対動かしてはいけないとのことで、尿道管は装着され、ベットで手術が終わるまで絶対安静。
 12月8日 手術。丸一日絶食
 12月8日~1月5日安静期間、5日より体重を3分の1 (本来は手術後3週間から体重3分の1、しかし年末年始の休業日があったため、実際には術後4週間から体重をかける)
 1月12日 体重2分の1 1月19日より体重3分の2 1月26日より全体重。 全体重をかけてスムーズに歩ける。うれしさは格別。一応杖を突いて歩行
 しかし、2月26日よりの台湾行きに備えて、筋力をつけなくては、と自己判断して階段を上り下りをした所為か、数日後より足の付け根周辺の痛みがひどく、体重をかけることができない。手術した骨に異常が起きたかと、心配したが、レントゲンの結果では手術した骨には異常がないとの事、筋力が衰えているのに、無理に体重をかけたために筋肉が悲鳴を上げた痛みと思われる。結局痛みが取れて自宅での生活が可能と判断できた2月24日まで退院が伸びた。

 2月26日の出発は3月10日に延期。帰国も予定を早めて3月10日~3月18日 約1週間余の滞在となった。
費用(二人分)(1元3,7円で計算)          単位円
航空運賃  (内+往復航空券変更料 約30000円) 74.820
現地交通費 (嘉義高鐵往復 タクシー、悠遊カードチャージ など) 10.878
空港へのリムジン(自宅~関空第2ターミナル) 10.300
宿泊料 (1泊1600元×8泊) 47.360
食費代 13.405
スマホシムカード代(台湾大哥大10日500元) 1.850
その他(本代、みやげなど) 9.339
合計   167.952円